海外デビューするためにはまず海外のフォトコンテストやポートフォリオレビューに参加する必要があります。そのために作品が必要なのは当たり前ですが、じつは「アーティスト・ステートメント」という「作家の声明文」が必要になります。それは写真に限らず今や、どんなアート作品にも必須とされています。
「アーティスト・ステートメント」って、どんなもの?
「アーティスト・ステートメント」とはどんなものなのか、簡単にご説明します。
アーティスト(Artist)はわかると思うので、「ステートメント(Statement)とは……」から、まず解説します。
英語の辞書で引くと、Statementには「発言」「声明」「発表」「プレスリリース」「メッセージ」「陳述」「演説」などの意味があります。” state “とは「はっきり述べること」で、その文書を指すとも書かれています。
BBCなど外国のニュースを聞いていると、Statementという言葉は本当によく出てきます。ちょっと耳を澄まして聞いてみてください。とくに総選挙のあとなどには何10回も出てきます。
” The first statement of Prime Minister “は「総理大臣の所信表明」という英語になります。これは総理大臣に任命されたときに、「どのようなことをマニフェストとして掲げて実行していきます」というスピーチです。
総理大臣が「自分の信じている思いや決意をはっきりと示し伝える」ことを指します。
というわけで、アーティスト・ステートメントとは、アーティストが作品に込めた「伝えたい思いや決意をはっきりと示して伝える」文章になります。
どんな内容が含まれているかというと、以下の5つにまとめられます。
① 何を伝えたい(表現したい)のか。
② なぜ、それを伝えたいのか。
③ それを表現するのが、なぜ、今なのか。
④ それを表現するのが、なぜ、私なのか。
⑤ 作品を見た人あるいは社会にどのような影響をもたらしたいのか。
文字数は日本語で200字程度。
英語にすると文字量は1.5倍になるので、あまり長過ぎない方がいいでしょう。
ただし、これはルールとして決められていることではありません。
私が有名な写真作品を見て、そのアーティスト・ステートメントをたくさん読んで、そこに含まれる項目を分析した結果になります。
しかも、これは写真家が海外のフォトコンテストやポートフォリオレビューで作品とともに、アーティスト・ステートメントを見てもらうことを想定しています。
キュレーターやギャラスリトなどのレビュワー(講評してくれるスペシャリスト)が見て、高く評価してくれることを目的とした場合です。
現代アートや絵画の世界では「美術的価値がある」ことを書くべきだという人もいます。また、そのアートの分野の歴史的な流れの中でどの文脈(流派)に属するかを書くべきだという人もいます。
どれも正解であり間違いではないと思います。
ただし、ここでは「海外のフォトコンテストやポートフォリオレビューのレビュワーの心に響かせる」ことが究極の目的なので、先に挙げた5項目を念頭に置くのがベストだと私は思っています。
また、写真作家にとってアーティスト・ステートメントが必要だという理由の一つには、作品だけが展示されたときやオークションのときなど、作家が不在のときのためです。その場に作家はいませんが、作品に対する作家の考えを十分に理解できるようにするためです。
国が違えば習慣も考え方も違います。そのために作品の背景について説明する必要もあります。ただし、それは雑誌の写真などにつけられているキャプション(説明文)とは明らかに違います。
キャプションとは撮影された場所や時刻や状況などの説明であって、作者の思いや信念などは含まれません。
もっと深く、もっと信念を持って、アーティストの考えを言葉としてまとめたものがアーティスト・ステートメントです。
例えば、自分自身の哲学と時代背景を基に「だから今、私は変わらない日常がかけがえのないことを伝えたい」と心からの思いを情熱を持って宣言する。その文章がアーティスト・ステートメントである。そんなふうに理解してください。
海外では作品に必ず「アーティスト・ステートメント」が付けられている
実力も経験もたっぷりのハイアマチュアの皆さんに、日本から飛び出して「海外でアーティスト(写真作家)になりましょう!」、その第1歩として「オンラインのフォトコンテストにぜひ応募しましょう!」とこの記事に書きました。
その準備をするなかでも、いちばん重要なのは「アーティスト・ステートメント」です。
これは、lenscultureやCritical Massなど、海外のフォトコンテストに応募する場合は必ず必要になります。
海外デビューする際には色々な局面で「アーティスト・ステートメント」は重要な役割を果たすものなので、ここでしっかり名称を覚えておいてください。
名称をご存知ないハイアマチュアの方もたくさんいらっしゃると思います。それは、日本のフォトコンテストに応募する場合、ずっと必要とされてこなかったからでしょう。もちろん、プロの写真家の方でも知らない方はたくさんいらっしゃいます。
キヤノンが新人写真家の発掘・育成・支援を目的として毎年行っている『写真新世紀』というフォトコンテストでもアーティスト・ステートメントの提出は求められません。「作品のコンセプト」についてだけ送ることになっています。
でも、アーティスト・ステートメントとコンセプトとは内容が微妙に異なります。
コンセプトとは制作意図を指します。広告や店舗、お料理などをつくる際の構想や考え方のことです。「どんな価値をどのような形で提供するか」を企画するものです。
「どのような価値を提供するか」という点は多少とアーティスト・ステートメントと被るところもあるかもしれません。けれども、その提供主は会社やお店、企業で、目的は利潤追求のためです。アートはアーティストが発信するもので、目的は利益ではありません。
アーティスト・ステートメントとコンセプトの違いを語るにはアートの概念を語ることになりますが、アートは自分の伝えたいという情熱を形にしたものです。売買されることはあっても目的は利益のためではなく、自分の思いを伝えることにほかなりません。
6年ほど前に、写真新世紀のキヤノン側のスタッフの方から「海外レベルの賞にしたいので、これからはコンセプトでなくアーティスト・ステートメントを必須項目としたい。ついてはアーティスト・ステートメントについてまず審査員の写真家さんたちに話してほしい」と言われたことがあります。
なぜ、コンセプトという言葉が写真家を発掘するためのコンテストで延々と使い続けられていたか。それはアーティスト・ステートメントを知らなかったからがいちばんの理由です。
それと、1965年の東京オリンピックあたりからバブル全盛期まで、「広告」がマーケティングの覇者でした。広告写真も然りです。そして、広告制作の現場ではコンセプトという言葉が使い続けられきた名残りだと思います。
この時代の広告写真にはかなりの権威がありましたが、アートではありません。あくまでも広告媒体に使われる素材の1つです。
さて、写真新世紀の提出項目がアーティスト・ステートメントに変わったかどうかというと……、
いまも応募ための提出項目は、アーティスト・ステートメントではなく、コンセプトのままです。
その理由は審査員長など主だった審査員が重鎮といわれる日本人の写真家でが広告全盛期に活躍した人ばかりだったこと。彼らはアーティスト・ステートメントというものがどのようなもので、作品にどう影響するのかを理解できませんでした。
海外でアーティストとして活動した経験がなく、海外へ自分の作品とアーティスト・ステートメントを持っていってプレゼンしたことがない。だから、その重要性も内容すらもまったくわからなかったのでしょう。
だから、「アーティスト・ステートメントっていったい何?」という話になり、私はレクチャーに呼ばれることもありませんでした。
でも、このときに私は「日本の写真界は結局、国内だけで小さくまとまっていくしかないんだな」と残念に感じたことを覚えています。
しかし、ここ最近は、北海道の東川町で開催されている国際写真フェスティバルやKYOTOGRAPHIE、T3 PHOTO FESTIVAL TOKYOなどの中でポートフォリオレビューが開催されるようになってきました。
海外のキュレーターやギャラリストなどをレビュワーとして招聘しているので、プリントだけでなくアーティスト・ステートメントを見せるのが当たり前のようになってきました。なので、この言葉を聞いたことがあるというハイアマチュアの方もだんだん増えてきました。
私がサポートしているSAMURAI FOTOというグループも海外で活躍する写真作家を育てるのが目的なので、東京でポートフォリオレビューを行っています。MOPA(サンディエゴにあるアメリカの3大写真美術館の1つ)の館長のデボラ・クロチコさんを招いて開催しました。
ほかにアメリカのキュレーターやヨーロッパの重鎮キュレーターなどにもポートフォリオレビューをしてもらっていますが、そのときもアーティスト・ステートメントは必須です。
アーティスト・ステートメントは写真作品に限らず、現代アートの世界でも必須のもの。村上隆さんや名和晃平さんといった世界的に有名なアーティストたちは必ず作品にアーティスト・ステートメントを付けています。
高額なアート作品が取引されるサザビーズでもオークションの際にはアーティスト・ステートメントは必ず添付されていなければなりません。
それほどアート作品には欠かせないものです。
質の高いアート作品と心に届くわかりやすいアーティスト・ステートメント。アーティストになるためにはこの2つを同時に高めていく必要があります。
というよりむしろ、アーティスト・ステートメントがちゃんと書けるようになれば作品がパワフルになる。作品はどんどん価値あるアート作品になっていくというわけです。
「伝えたいこと」が表明された作品は見る人の心を震わせる
アーティスト・ステートメントについて日本のプロの写真家さんたちもほとんど知らないと書きましたが、何を隠そう、私も2012年に南仏アルルで開催されるポートフォリオレビューの見学に行くまで、まったく知りませんでした(汗💦)。
ポートフォリオレビューとはどのようなものかをこちらの記事では書いてますが、そのほとんどが会場がホテルの大会議場で開催されます。そして、レビューの開始時間になるとドアをぴたりと閉められ、そのセッションを受けるレビュワーとフォトグラファーしか入室できません。
1セッションは20分間。
レビューの終了5分前には「あと5分です」、終了時間になれば「はい、終了です」とアナウンスがあるだけ。時間になれば退出してくださいと促され、否が応でも入退室を厳しく制限されます。なので、会場には緊張した雰囲気が流れています。
初めてのポートフォリオレビューのときはアウェー感が半端ではありません。張り詰めた空気の勝負の場所だと感じる方もほとんどだと思います。
けれども、それとはまったく異なるのが南仏の街アルルで行われるポートフォリオレビューです。
多くのポートフォリオレビューは国際写真フェスティバルのイベントの1つとして開催されています。そして、レビュー会場のある街の至るところで、招待作家などの写真展が同時開催されています。
その数がアルルはものすごく多く、イベントとは別に個人的に小さなギャラリーを借りて展示している写真家もたくさんいます。日本で言えば、KYOTOGRAPHIEのような感じです。
それよりもっと大規模に、街をあげての夏の一大イベントにもなっているのがアルルです。普通のお祭りのようにパエリアやジェラートを売るお店が露天で並んでいたり、マルシェのように野菜やチーズ、お肉を売るお店なども歩道や公園に並んでいます。
官庁街のようなビルしかない殺伐とした風景の中で開催されるヒューストンのポートフォリオレビューとは雲泥の差。アルルにいるだけでお祭り気分で楽しくなってきます。
世界遺産である古代闘牛場では夜には写真に関する映像を上映したり、石畳の街を散歩していると、思わぬところで古い写真をアンティークのように売っていたりします。もちろん、かわいらしいブティックとか雑貨店、食料品店などもあります。
フランスの南端、地中海近くに位置するアルルはゴッホが入院していた精神病院があったり、『星降る夜』『夜のカフェテラス』の題材となった場所があり、『ひまわり』や『アルルの跳ね橋』もこの地で描かれました。
もともとアルルは観光地で、田園地帯と半野生化した白馬で有名なカマルグも含まれるプロヴァンス地方ですから、普通に旅行するだけでも素敵なところです。
そして、街起こしのように国際写真フェスティバルも毎夏に開催されるので、ポートフォリオレビューもホテルではなく、市民センターのようなところで開催されます。
建物は体育館のような感じで、7月の暑い時期ですが、エアコンはつけずにすべてのドアや窓は開けっぱなし。レビューを受けるフォトグラファーやレビュワーでなくても入室はOK。街を歩いている地元の人も旅行者も誰でもふらっと入ってきて、レビューの様子を見学することができます。
こんなフレンドリーな甘々な感じのポートフォリオレビューはアルルにしかないと思います。
私が最初にアルルに行ったのも、そうして参加者でなくても気軽に見学できると聞いたからでした。
2回目のアルルのポートフォリオレビューに参加するという友人の写真家にそう聞いて、それならプロヴァンスの旅のついでちょっと覗いてみようとごくごく軽い気持ちで行きました。
体育館のような会場の隅には次のレビューを待ついろんな国のフォトグラファーが待機していました。なかにはパソコンで仕事中の人もいますが、互いに自己紹介し合ってアート写真談義をしていたり、開け放たれた扉の向こうにある庭ではライターを貸し合いながらタバコを吸っている人もいます。
フランスの田舎ののんびりした小さな村のひとときのようで、私もくつろいだ気持ちでレビュー中の写真家たちのプリントを眺め始めました。
そうして彼らの作品を見た途端、私は衝撃を受けました。
あの瞬間は今でも忘れられず、私のセミナーの中でアーティスト・ステートメントについて語る際には必ず触れることにしています。
日本の写真とはまったく違う!! こんなの見たことがない!!
美しくないわけではありませんが、胸に迫ってくるような強烈なインパクトのある写真ばかり。「いったいこれはなんだろう。世界の写真とはこういうものなのか」。胸がドキドキしました。
女性のポートレートだけど首に大蛇が巻かれている。黒人の手のひらの上にカミソリの刃が乗せられている。酸をかけられて溶けた顔の女性や子どもの背中。雪景色の中に埋もれた怪しい要塞やミサイル。ゼロ戦の戦士のいでたちをした青年の後ろ姿……。
どれもが写真としては美しい。けれど、それよりなにより「痛い」「突き刺さってくる」「息が止まりそう」。心の中まで射抜かれてしまいそう、そんな感じでした。
しかも、日本では、ポートレート、ストリートフォト、鉄道写真、風景写真というカテゴリーに分けられますが、アルルで見た写真はそのどれにも当てはまりません。
「どうして?」「どうしてこんな写真なの?」。そう思いながら、私は一日中、アルルのレビューを見続けました。
そうしているうちに、フォトグラファーたちが全員、プリントだけでなく、英語で書かれたA4用紙を見せていることに気づいたのです。
その文章を見せながら、レビュワーと会話をしている言葉も聞き続けました。
そして、レビューが終わったフォトグラファーにその英文を撮影させてもらい、それがアーティスト・ステートメントで、ポートフォリオレビューには必須のものだと教えてもらったのです。
撮影させてもらった英文の文章をその晩、ホテルに帰ってから、私は全部読みました。
そうして、理解したのです。
どうして、痛ましい姿を撮影していたのか。ミサイルや廃墟が雪に埋もれていたのはなぜか。今、ゼロ戦の戦士の格好をしていたのには理由がある。
しかも、どうして、あんなにも強く私の心を射抜いたのか。
彼らの作品にはすべて「言いたいこと」がはっきりとあり、それがアーティスト・ステートメントにはちゃんと書かれている。だから、あんなにもみんな作品が強いんだ。
もしかしたら、日本の写真がきれいなだけ、やさしいけど強くはないのは、このアーティスト・ステートメントに書かれたような「伝えたいこと」がないからに違いない。
それは、日本の写真に足りないものを私が確信した瞬間でもありました。
アーティスト・ステートメントを書くと自分を知ることができる
アルルでアーティスト・ステートメントの存在を知ってから、私は日本でもこれを広めて、日本の写真も早く世界レベルに追いついてほしいと思うようになりました。
当時、私は『デジタルカメラマガジン』という雑誌に写真家たちの撮影術をレポートする連載をやっていました。それはまだFacebookもインスタもない頃で、この雑誌が初めてネット上に写真投稿サイトを立ち上げたばかりでした。
そのGANREFというサイトには日本全国の写真愛好家たちが自分の写真をアップロードして、プロの写真家たちがその中からセレクトして賞をあげたり、レビューしてコメントを書いてあげたりということをしていました。
そして、2011年にはフォトコンテストを行なって10名を選び、その受賞者は東京で開催される写真展に出展できるというイベントがありました。
確か「十人十色」というタイトルの写真展で、ほとんどが風景写真でした。
その写真展は私とアルルのポートフォリオレビューに一緒に行った友人の写真家がディレクターになったので、10人の受賞者たちには「アーティスト・ステートメントを書いてもらおう」ということにしました。
当然、彼らは「アーティスト・ステートメント」という言葉もどんなものなのかも誰ひとり知りませんでした。
だからなおさら、「どうしてそんなものを書かなくちゃならないの?」と内心、かなり不満を持ったと思います。
でも、私と友人は日本の写真のレベルを上げて、日本の写真家たちにもっともっと海外で活躍してほしいと願っていたので、「アーティスト・ステートメントを書かないと写真展には出展できない」ということにしました。そうして、全員に書いてもらいました。
そもそも写真をやる人は言葉にならないことを表現したいから写真を選んだという人なので、どうして、写真のために言葉を書かなくちゃならないのか理由がわからない。まず、そこから説明しないとなりませんでした。
私がアルルのポートフォリオレビューで衝撃を受けた話はもちろんしました。それでも全員、そんな文章を書いたことはありませんし、私自身も「どのような内容を入れてどんなふうに書くべきか」がまだ深くは理解できていませんでした。
なので、参加者も私たちも相当にドタバタしました。文字通り、悪戦苦闘の日々でした。ひとり一人が大変だったと思いますが、私も10名にアドバイスしたり添削するのはかなりの重労働でした。
それでも、ひとり一人の文章の添削を何度も行なっていくうちに、「何が表現したくて撮ったのか」がだんだんと見えてきて、それを言葉にできるようになってきました。
曖昧だったタイトルが本人の納得できるものに置き換えられていく。プリントのための画像補正の方向性が変わったり、使うプリント用紙が変わる。アーティスト・ステートメントを考えるうちにそれぞれの作品はどんどん変わっていきました。
そうして、写真展の打ち上げでは、全員が「アーティスト・ステートメントを書く前よりも作品がグレードアップした」と喜んでくれました。
実際、私が見ても、全員がその数枚の写真で何を伝えたいのかがはっきりしてきていました。それによって、プリントも格段によくなったと思いました。
写真展の終了後、「十人十色」写真展の参加者によって、アーティスト・ステートメントとプリントを学ぶグループをつくろうという話が持ち上がりました。それが” SAMURAI FOTO “というグループです。
もう1つ、アーティスト・ステートメントを書くことで、作品が劇的によくなった実例があります。
SAMURAI FOTO に翌年、加入したCさんという女性です。
彼女は50歳代でレンズメーカーの役員をしているバリバリのキャリアウーマン。写真好きでもあって、カメラやレンズメーカーに勤めている人たちでつくっている写真愛好グループの一人として、撮影会をやったり、年に一度の写真展を開催していました。
2014年のこと、SAMURAI FOTOでアルルのポートフォリオレビューに行こうという話が持ち上がりました。そのとき「フランスのワインは美味しいし、みんな初めてのレビューだけど、一緒に行くから安心ですよ」と私の友人の写真家が誘ったことで、入会してアルルにも行くことになりました。
当然のことですが、アーティスト・ステートメントは書かなければなりませんし、SAMURAI FOTOの流儀としてプリントも自分でやらなければなりません。彼女にとってはどちらも初めての挑戦です。
準備期間が短いこともあって、新しく撮影するのは断念しました。以前、東京でのカメラやレンズメーカーの写真愛好家たちのグループ展で発表した15枚ほどを自分でプリントしてアルルに持っていくことにしました。
私と一対一で話し合ったり、添削したりしながら、アーティスト・ステートメントを作り上げていきました。
真剣に、情熱を持ちつつ、冷静に何度も何度も書き直して、完成したのが以下です。
Cさんのプロジェクト『STARTING A NEW STORY(2010-2014)』のアーティスト・ステートメントです。
「ある日、隣町に奇妙な形の廃棄物工場を見つけて興味を覚え、撮影を始めた。この町には雑木林や畑の中に工場や倉庫が数多くあった。狭い道路を大型車が砂煙を上げてひっきりなしに走っていたが、人の気配は少なく、私は不思議と安らぎを覚えた。
この町を撮影し始めたのは、ちょうど両親の介護に追われている時だった。老いは誰にでも訪れるものだが、親の報われない最後に虚しさを感じていた。
撮影し始めてしばらくして父が亡くなった。 痩せて、枯れ葉がカサカサと落ちてゆくような最後だった。
あの奇妙な古びた工場が キシキシと音を立てて稼働する姿が、働き尽くして朽ちていく父の姿に重なった。そして、父の最後の日々、十分に手を尽くせなかった自分を深く後悔した。私は老いや死という絶対的なものを受け入れられず、父と共に歩むことができなかったのだ。
この町には日々、さまざまなものが運び込まれ、うず高く積み上げられていく。 それらはいつか工場で処理されて新しい何かに生まれ変わりこの町を出ていく。 役目を終えたものも、また別な形の”生”(または、役目)を与えられる。人もまた同じなのかもしれない。
どのような人生であろうが、皆一様に死を迎え、土に還り、循環し、全体に同化して、やがて別の何かになる。 死というプロセスを経て違う形を生きる。父の肉体も魂もまた、新しい何かに生まれ変わるだろう。普遍の現実に尻込みした私もまた、同じこのダイナミックな流れに乗ってゆくのだ。
重く垂れ込めた雲の下や生い茂る草むらの向こうに、広がる空が見えた。
薄くたなびく光のその先にどこまででも変化し続く世界が見えた。」
今はもっと短くて、体験に基づいたストーリーによって何を伝えたいのかを書くようにアドバイスしていますが、当時は私も勉強不足でこれが精一杯でした。
それでも、アルルのポートフォリオレビューに持っていくと、女性のレビュワーはこのステートメントを読んで泣く人が続出しました。
おそらく、誰もに共通する「親を亡くす」ときに感じる喪失感や後悔などが胸に響いたのでしょう。同様に、Cさんのプリントも高い評価を受け、のちにイタリアで個展を開くことになり、アメリカのアート写真美術館に永久保存されました。
それより何よりすごかったのはアーティスト・ステートメントを仕上げる過程で、Cさんの作品がどんどんよくなっていったことです。それはもう劇的というくらいに……。
以前、東京で開催したグループ展のときは現像所にやってもらっているのでプリントは初めてでした。それでもステートメントが固まっていくうちに、どんな画像補正をして、どんな用紙を使ったらいいのかも自然と見えてきたそうです。
また、彼女のプロジェクトは日本の写真のカテゴリーには分けられません。
モチーフが草むらだったり、夕暮れに小さな電気がついた廃工場の風景だったり、錆びた鉄のチェーンのアップや空き地に放置されたコンテナ群や枯れていくヒマワリの葉、飛び立つ鳥の群れなど、バラバラなモチーフです。
でも、Cさんが感激しながら私に伝えてくれたことがありました。
「前の東京での写真展のときは私が撮影したいろんなものがあるけれど、どうしてそれをあんなふうに撮ったのかがまったくわかりませんでした。でも、アーティスト・ステートメントを書いたら、1枚1枚、私はなぜそれを撮ったのかがはっきりとわかりました」
アーティスト・ステートメントを書くことで作品が強くなっていく。それは私にもわかっていました。
けれども、Cさんとアーティスト・ステートメントを作り上げながら気づいたのは、彼女はこの過程で、自分がどういう人で何をしたいのかも見えてきているということでした。
よく「自分とはどういう人間なのだろう」「何のために生きているんだろう」と考えることがあると思いますが、アーティスト・ステートメントを書こうとストラグルしていると、それを考えることになっているようです。
そうしているうちに、自分がわかり、自分の伝えたいことをはっきりと言葉にすることができる。
アーティスト・ステートメントの一番の効用はそれかもしれません。
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