エジンバラにほど近い個人宅にある樹齢1,000年の枝垂れイチイの巨樹。数えきれないほどの枝が枝垂れているこの木の下へ行くと、誰もが心を震わせ涙を流します。3,000本以上訪れた巨樹の中で最も感動的な巨樹です。
香り高い紅茶「アールグレイ」と同じ名前の木の持ち主はまさかの○○だった!?
スコットランドの古都エジンバラからクルマで東へ40キロほど。イースト・リントンという小さな町に到着すると、木の持ち主であるバルフォア氏が私たちを迎えに出てくれていました。
彼のクルマの後をついて行くと、やがて田舎道の両側は美しい田園地帯になり、その景色に同化するかのように質素な石塀が延々と続きました。
バルフォア氏が一旦クルマを停めたのはその長い塀の先にあった大きな木製の門の前でした。使用人によって内側から開けられたその門を入ると、その脇に彼らの住まいらしい建物が見えるだけで、その先には参道のような木立ちの間を抜ける道しか見えません。
その道を5分ほど進んだところでやっと、彼が住むウィッティングハム城は姿を現わしました。わざわざ町なかまで迎えに来てくれたのは、道からはこの大邸宅が決して見えないためでした。
バルフォア氏の住まいは塔もあるマナーハウスのような建物で所有する土地も広大でした。そこには彼が植えた木々が何100本とありました。
世界最大体積に成長するジャイアントセコイアや樹高世界一に育つレッドウッドなど、ギネスブックの巨樹のレコードホルダーが立ち並ぶ巨樹の森。ほかにもチリのモンキーパズル、ニュージーランドのカウリなどさまざまな国の名だたる巨樹が植えられています。

世界各地の巨樹になる木が植えられた庭。これはカナダツガ
巨樹植物園のような庭を愛犬のイングリッシュ・ポインターとともにバルフォア氏は案内してくれました。とても楽しそうに樹種名などを説明している姿から木が好きなことが伝わってきました。
その後、「お茶を飲んでひと休みしてください」とご自宅へも誘ってくださいました。ひとり暮らしのようで、自分でお湯を沸かしてティーバックで紅茶を淹れてくれました。
巨樹を好きなもの同士のせいか、庭の巨樹や私が見てきた世界の巨樹の話をしながら、すぐに私たちは旧知の友人のように打ち解けました。そして、このとき初めて、私たちはお互いの住所とフルネームを交換しました。
いまでもそのときのことを思い出すと赤面してしまいますが、伯爵が書いてくれた名前と横に置かれたティーバックの文字を見て私は、「アールグレイのアールと同じスペルなんですね」といってしまいます。本当に無知でした(泣)。
書いてもらった”The Earl of Balfour”という名前が一般人のようにファーストネームとファミリーネームではなかったのでおかしいとは思いました。でも、そのときは変わった名前だとしか思いませんでした。

その後、伯爵から送られてきた手紙
そう、Earlとは伯爵のことです。そんなことを知らない私は教えていただいた住所にこのときのお礼の手紙を送りました。そして、伯爵からも返信が来たことが嬉しくて、訪問の許可を取ってくれた友人に伝えます。
すると、友人から「伯爵のような方に気安く手紙を書くなんて……」とたしなめられました。イギリスではいまも階級制度が暮らしの中に色濃く残っているからだそうです。そのときになって私は初めて「伯爵さま」だったのかと認識しました。
でも、バルフォア伯爵とはその後も手紙のやり取りをし、世界の巨樹を見に行く会のツアーでも何度もお邪魔しました。その度に伯爵は塔の上に登らせてくれたり、自室に招いてくれたりと心やすく対応してくださいました。
あとになって調べてみると、日英同盟締結に尽力したバルフォア首相(在位1902〜5年)の子孫に当たる方でもありました。さらに冷や汗ものでしたが、私にとっては大切な友人で巨樹仲間です。
見終わって出てくると誰もが「どうしてあんなふうに育ったの」と全員が涙する木
ティータイムのあと、伯爵は「それではウチの庭でもっとも大きな木をご案内しましょう」と愛犬と外へ。さきほどの植物園と違う方向に歩き出しました。
推定樹齢1,000年の枝垂れイチイということでしたが、外側から見ると、葉の多い普通のイチイの木にしか見えません。

伯爵がイチイについて書いてくれた当時のメモ
けれども伯爵によると、枝張りは1エーカー(1,224坪)におよぶ雌株。想像できないほどの枝の広がりです。近くには樹齢200年の雄株の枝垂れイチイも育っているそうです。
じつはイギリスには多くのイチイの老樹があります。それだけで分厚い本が出版されているほど。常緑で寿命が長いことが好まれ、そんなイチイよりも教会の歴史が古いことを示すためにわざと古いイチイの木の近くに教会を建てたそうです。
つまり、教会に植えられたというより、イチイのそばに教会が建てられたということです。
加えて、別の理由もあります。
百年戦争(1337〜1453年)の時代、イングランド軍はイチイの木でつくられた長弓で恐れられていました。イチイの弓はよくしなり長い距離を射ることができるからです。それに比べて、フランス軍はパチンコと同じ仕掛けの石弓しかなかったそうです。
エドワード3世がフランスに侵攻できたのもイングランド国王が熱心にイチイを植えていたからだという説もあります。このような理由からイチイはイギリスで見かけることが多いのですが、枝垂れているものはほとんど見られません。
バルフォア邸の木はイチイでは珍しい枝垂れ種。そして、徐々に近づいていくと全体に根のようにたくさんの枝が回っていることがわかりました。別のイチイの木かと思っていた手前の木もつながった1本の木でした。
あまりにも枝が多いために幹が見える内部には入って行けそうもありません。
「1箇所だけうちの庭師と一緒に小さな入り口を開けてあるからね」そういうと伯爵はイチイの木をグルっと半周ほどして、小さな穴の前に導いてくれました。
枝垂れた枝がほぼ全周を覆うように地面までびっしりと垂れているため、イチイの木の下に行くにはこのたった1カ所の穴を這うようにして行かねばなりませんでした。
そんな木は初めてでいったいどうなっているのだろうと見つめていると、「木との時間をたっぷりと堪能してください」と伯爵は愛犬とともに邸宅へ帰っていきました。「ひとりでこの木とともに過ごすのがいちばんいいからね」と言い残して……。
小さな入り口の先もびっしり枝に囲まれたトンネルのようでした。腰を屈めながら中心部に向かって歩いていきます。そうしながら、私は心の中で「いったいこれはどういう木なの?」と思い始めます。さらに近づいていくと……。
そこは巨樹のドーム。縦横無尽に広がり垂れ下がった枝によってつくられた神聖なカテドラルのようです。外側とは空気は一変し、崇高な気配に満ちていました。
この空間が見え始めたときから心が震えて、幹の近くに立ったときには自分でも理由のわからない涙が流れていました。
こんなに枝がある木を見たことがありません。私は「どうしてこんなに、どうしてこんなに……」とただただ不思議で1時間以上も巨樹のドームの下であちこちを見て回りました。その間もずっと胸の震えと涙は止まりませんでした。
写真を見ただけでこの枝垂れイチイを見たいという方は多く、何10人もの方をお連れてしています。ひとりずつ木に入っていただくと、全員が木から出てきたあともしばらく泣いています。
ほとんどの方が「なんで、どうしてなの」といいながらです。
実際、私もこんな木は世界中のどこでもほかに見たことはありません。枝垂れた枝が地面に着くと、それが根付いて新しい枝が出る。その枝が古い枝を支える役をしている。
ここはそんな無数の支え合いに満ちています。その姿に無意識のうちに見る人の心が反応しているからだと想像しています。
これからもこの木の下に立つ人は全員が泣いてしまうのだと思います。
そして、私はこれからも何度も会いに行こうと思っています。
シェイクスピア原作の「ハムレット」のベースとなった史実はこの木の下で話し合われた暗殺計画
イチイの木はイギリスにたくさんあると書きましたが、日本にも全国にたくさんあります。日本では仁徳天皇の時代に正一位(もっとも位の高い貴人)の聖徳太子が持つ笏をイチイからつくったことで知られています。
また、イギリスのようにアイヌの人々もイチイで弓をつくったそうです。
そんなことから学名であるタクスス(Taxus)はギリシャ語の弓に由来します。これは英語の毒素toxinの語源でもありますが、イチイは葉、枝、種に猛毒を含んでいるからです。果肉部分だけが唯一毒を持たないそうです。
毒があるとは知らずに甘くて柔らかい実を子どもの頃によく食べましたが、種はちゃんと食べずにいたかどうか(汗)……。
シェイクスピアの『ハムレット』には父王が耳から毒液を流し込まれて殺される場面がありますが、その毒の成分はイチイだといわれています。
そして、そのハムレットの話がじつはバルフォア邸の枝垂れイチイに関係しています。
『ハムレット』は12世紀末に書かれたデンマーク王の実話をベースにしているというのが通説ですが、別の説が存在します。シェークスピアは当時のイギリス王室の事件をデンマーク王の名を借りて書いたという説です。
1567年2月にスコットランド女王メアリ・スチュアートの2番目の夫ダーンリ卿が暗殺されました。女王は3カ月も経たないうちに暗殺者であるボスウェル伯と結婚します。そして、メアリとダーンリの息子であるジェームズは1603年イングランド王となります。
『ハムレット』の初演は1600〜1603年です。このときちょうど老女王エリザベスの後継問題で世の中は持ちきりでした。その中でのジェームズ6世の王位継承なので、ダーンリ暗殺事件、メアリのことは物語に色濃く反映されていると考えられました。
この説を唱えたのはドイツの公法学者カール・シュミット(1888〜1985)ですが、彼はハムレットこそジェームズ6世だといっています。

伯爵の部屋に飾られていた暗殺事件についての記述
伯爵の部屋に飾られていたのはゲール語(スコットランドの古い言語)で書かれたダーンリの暗殺計画についての話でした。
バルフォア家がこの土地を購入したのは19世紀です。16世紀にはダグラス家が所有していました。ダーンリの殺害計画を企てたのはメアリ女王の側近だったメイトランド、ボスウェル、モートンとアーチポルト・ダグラスといわれています。
この4人が暗殺事件のひと月前に密談したのがこの枝垂れイチイに違いないと記述されているのです。なぜそんな話が飾られているのかは、伯爵によるとこの土地に住む者に代々伝えられているからということでした。
唯一開いている小さな入り口さえも外側からは見えません。密談するのには最適の場所です。
でも、こんな素晴らしい木を恐ろしい暗殺計画の話し合いに使うなんてひどいと思う方もたくさんいることでしょう。結局、ボスウェルは投獄されて死亡。メアリも投獄されたのちに首を切られます。
そんな史実があったこともいまではほとんど忘れ去られています。
でも、この驚異的な数の枝を持つ感動的な枝垂れイチイは永遠に生きていそうな気高さを放っています。きっといつまでも見るものに感動を与え続けてくれそうです。
人生初の海外ひとり旅でイギリスへ。そのハチャメチャな旅が私にくれた幸運
イギリスの巨樹といえば、だいたいが教会か私有地にあります。バルフォア伯爵邸のイチイの木もそうです。
私有地にある巨樹なのにどうしてその存在を知ることができたのでしょう。
それは一冊の写真集との出会いにあります。
それはイギリスの巨樹写真家トマス・パケナム氏の写真集『MEETING WITH REMARKABLE TREES』です。

枝垂れイチイが掲載されたページ。暗殺事件についても書かれている
じつは、この写真集はリッチモンドにあるキュー王立植物園の図書室で見つけました。といっても、この図書室は一般公開されていません。スタッフか許可のある人のみが入ることができます。
大航海時代からプラントハンターたちが集めてきた世界中の植物標本の引き出しがある巨大な部屋があり、そのすぐ隣に図書室はありました。植物に関する膨大な書籍が集められている図書室。おそらく、ほとんどの人はその存在すら知らないことでしょう。
私もそこに行くまでまったく知りませんでした。
それは日本の巨樹の写真集を出版したあと、世界の巨樹について知りたいと思っていた頃のこと。よく記事を書かせてもらっている科学雑誌の忘年会に行きました。
世界の巨樹のデータを集めたいというと、そこに居合わせた国立科学博物館の教授が「それならキューガーデンの図書室に行けばいいよ。アポを取ってあげるから」といってくれたのです。
私はちょうどお正月休みの1月2日からロンドンに行くことになっていました。「すごくラッキーだな」と思いましたが、初めての海外ひとり旅だったのでちょっと不安ではありました。
キューガーデンの最寄駅はディストリクトラインのKew Gardens駅です。ロンドンの中心から30分ほどの駅からは歩いて6分の距離にあります。方向音痴の私は地図を見ながら歩いていきましたが、10分過ぎても20分過ぎても着きません。
逆方向に歩いているのにやっと気づいて近くまで行くのですが、それでもわからず、とりあえず誰かに道を聞こうと知らない家をノックしました。
英語がまったく喋れないので、日本で書いてきた「キューガーデンに行きたい」「アポを取ってあるこの人に会いたい」という英文を見せるしかありません。
すると、キューガーデンまではそれほど遠くないので送っていってくれることになりました。おそらく、英語が話せない日本人がまた迷ったらかわいそうだと思ってくれたのでしょう。
5分ほどでキューガーデンに着くと、その方がすべて英語で伝えてくださって、国立科学博物館の教授がアポイントを取っておくからといったドイツ人のキューガーデンのスタッフMさんが出てきてくれました。
でも、じつは教授はまったく連絡などしてくれていませんでした。あとになって思うと、お正月の時期にMさんがお休みではなかったのは幸運でした。そのうえに彼は見ず知らずの私の図書室入室許可を取ってくれて案内してくれました。
そして、「僕は仕事があるから戻るけど夕方、また来るね」といって出ていくと、私は図書室にひとりだけになりました。英語ができませんから、巨樹のデータを調べるにもどこから調べていいやらまったくわかりません。
それでもあちこち探して1時間くらいしたところで背後から「日本人の方ですか?」という声が聞こえました。その声は当時の私にとってはもう天使の声。彼女はそのときキューガーデンで働いていた唯一の日本人Oさんでした。
パケナム氏の写真集を見つけてくれたのも彼女でした。
それからはパケナム氏の写真集にある巨樹を訪ねるUKツアーを何度も一緒にやっています。迷いながらでも、誰かを頼りながらでもキューガーデンに行ってよかったと思っています。
偶然の上の偶然ですし、ちょっと間違えると危ない綱渡りでしたが、イギリス以外でもいろんな国の巨樹に行けるのもキューガーデンでのこんな出会いがあるからでした。
もちろん、バルフォア伯爵の枝垂れイチイのような素晴らしい巨樹にも会うことができました。
そして、これは偶然だったのでしょうか、必然だったのでしょうか?
じつはキューガーデンに私が訪ねていったドイツ人Mさんと日本人のOさんはその後、ご結婚されました。いま、ご夫妻で私たちの旅のコーディネイトをしてくれています。
『ハムレットもしくはヘカベ』カール・シュミット(みすず書房)
『地球遺産 最後の巨樹』吉田繁(講談社)
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