巨樹

驚異の樹齢! 4,855歳のマツが密かに生きる山

巨樹

樹齢最高の木の名前と樹齢はギネスブックに公表されていますが、明確な位置は保護のため秘密にされています。長寿の秘密とともに、世界一の木に遭遇するまでのストーリーと世界初?「最長寿の木」の画像を公開しました。写真提供/巨樹写真家・吉田繁(世界の巨樹を見に行く会)

カリフォルニアの山にその森はある

世界最長寿の木(樹齢4,855年)があるのは、カリフォルニア州東部のホワイトマウンテン。標高4342メートル、真夏でも雪に覆われたように白く輝く山の標高3,000~3,500メートルです。

日本でいえば、富士山の7合目から9合目にあたります。こんな高い場所は普通なら森林限界で植物は生きていけません。実際に訪れてみても世界最長寿の樹種のみの世界でした。

見渡す限りブリスルコーン・パインだけなのがわかる

鱗片の先にトゲがある

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな過酷な環境で育つのは「ブリスルコーン・パイン(Bristlecone Pine)」という樹種で、和名を「イガゴヨウマツ」といいます。

英名の「ブリスル」はトゲトゲという意味で、たくさんのトゲに覆われたコーン(松ぼっくり)からつけられた樹種名です。周囲には水飴のような樹脂がたっぷりとついているのも特徴です。この樹脂の香りがとてもいいです。

ブリスルコーン・パインの種子は発芽能力に優れているうえに発芽したあとの寿命は5,000年以上。そのことから1970年に「長寿のマツ」という意味で、Pinus Longaevaと学名がつけられています。

ブリスルコーンパインの生育地からはシエラネバダが見える

 

インヨー国有林からはヨセミテやセコイア国有林もほど近い

そのブリスルコーン・パインの生育地ですが、調べてみると、インヨー国有林(Inyo National Forest)であることがわかりました。合衆国森林局によって保護された区域です。

そこがホワイトマウンテンの3,000メートル以上で、その中には観光客が歩けるように整備された2つの森といくつかのトレイルがあります。

そして、ありがたいことにこれらの森やトレイルの入り口まではクルマで行くことができます。道路はかなり起伏がありますが、舗装されていて森とトレイルの手前には駐車場も完備されています。

ただし、冬期は雪のために1.5キロ手前で道路閉鎖されるので注意してください。また、3,000メートルまでクルマで行けるため、歩き出す前には高地に体を慣らしてください。私は降車していきなり走り出して心臓がバクバクした経験があります(笑)。

ホワイトマウンテンのビューポイントからはシエラネバダを挟んで、世界最大体積といわれるセコイアの巨樹があるヨセミテ国立公園とセコイア・キングスキャニオン公園を望めます。そんな景色をゆっくり眺めてから歩き出すのがオススメです。

樹齢は正確に年輪を数えたもの

樹齢4,855年といわれている世界最長寿の木の名前、それが「メスーゼラ Methuselah」です。969歳まで生きたとされる旧約聖書の登場人物メスーゼラにちなんでいるそうです。

およそ5,000年前といえば縄文時代になりますが、「それなら屋久島の縄文杉のほうが古い」という方がいらっしゃるかもしれません。日本最大のスギである縄文杉という名前自体も縄文時代から生きているという理由から付けられていますから……。

屋久島の標高1,300メートルの傾斜地に立つ縄文杉

世界遺産登録前は近くに立てた

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和58(1983)年、当時の環境庁が1枚のポスターを作製しました。駅などにでかでかと貼られたそのポスターは縄文杉の前に地元の女子高校生が立ち「7,200歳です」とキャッチコピーが入っていました。

私も「そんなすごい巨樹があるなら屋久島に行きたい」と思ったのでよく覚えています。ところが、このポスターに国内外からクレームがつきました。その騒動についても巨樹好きとしては注目していました。

すでにギネスブックでも現存する世界最長寿の木はメスーゼラとされていましたし、そもそもこの7,200年という樹齢は推定だったからです。別の屋久杉のデータをもとにコンピュータ処理して判定した数字で、年輪を数えたわけではありません。

木は内側から外側へと年輪を重ねていきます。それにつれて巨樹や古木は内部が枯れて空洞になるものがほとんどです。そのため年輪を数えることは難しく、日本の巨樹のほとんどは推定樹齢です。

その後、さまざまな研究と議論が重ねられた結果、縄文杉の樹齢は2,200〜4,110年の合体木ではないかというところに落ち着いています。

メスーゼラには年輪を採取した証拠がある

インヨー国有林の森の中にはじつは樹齢4,000年以上の木が17本あります。私がここを最初に訪れたとき(1996年)、その中の1本である「パイン・アルファ」という樹齢4,300年の木には名札が付けられていました。

そうして、木の裏側に回ると直径1センチほどの穴がいくつもあけられていました。

樹齢4,300年と名札が付いていたパイン・アルファ

その後に訪れたとき名札は外され、木の前にあったトレイルも大きく迂回していました。おそらく、メスーゼラのように保護しようという措置だったのでしょう。

裏側にあいた穴についてはインヨーのレンジャーさんに聞いたところ、それは年輪を採取した穴だと教えてくれました。サンプリングのために使う道具も見せてもらい、採取方法も説明していただきました。

パイン・アルファの裏側の穴

年輪採取のために使われる道具

 

 

 

 

 

 

 

“Swedish Increment Borer”と呼ばれる道具で、鉛筆ほどの太さの年輪を取り出します。写真の右側の薄い肌色の上に乗る茶色の細い棒のように見えるのが採取した年輪片です。このくらい小さな穴を開けても木の成長には影響はないそうです。

その後、何度目かの訪問のとき偶然、メスーゼラを見つけることになるのですが、裏側を見るとやはり同じ穴がいくつもあけられていました。それが正確に年輪を数えた証拠の1つといえるでしょう。

長寿の秘訣は過酷な環境にあった

さて、いくら年輪を採取できたとしても、縄文杉をはじめとする日本の巨樹たちのほとんどは中心部が洞になっているため、芽生えた年から数えることはできません。なのに、どうしてメスーゼラの年輪は数えることができたのでしょう?

写真をよく見ていただくと、左の木にはまったく葉がありません。そして、右奥の木には左側の一部にしか葉が茂っていません。わかりますか?

左の木に葉がないのは死んでいるからです。死んでもなお立ち続けている木をここではデッドツリーと呼び、枯死して倒れた木をデッドウッドと呼んでいます。生きている木はリビングツリーで、3種類に呼び分けられています。

手前が死んで倒れても残り続けるデッドウッド

まず不思議なだったのは死んでも立ったままのデッドツリーやデッドウッドがたくさんあることでした。普通ならこれらは腐朽菌などによって森の土に還っていくはずだからです。でも、それが長寿の秘密と深く関係していました。

この保護区の年間降水量は300ミリ以下。しかもその大半は雪です。世界最高クラスの乾燥地帯のホワイトマウンテンでは日中、強烈な紫外線にさらされます。夏には服を通して刺すような痛さを感じ、逆に日が沈むと凍えるような寒さに襲われました。乾いた強風が吹き続けることもあります。

夏の日中は痛いほど紫外線が強い

強風が樹皮を剥がし枝を折り幹を捻らせる

強風に耐えて幹を支え、少ない養分をできる限り吸収するためにブリスルコーンパインは根を張り巡らせているようです。それが命を終えても立ち続けるデッドツリーを生むのでしょう。

わずかな降水量と乾燥、養分の少ない土壌、昼夜の激しい寒暖差。ブリスルコーン・パイン以外の木が育たないこの過酷な場所では、倒木を分解する菌類やバクテリアさえも寄せつけない。それが倒れてもなお残り続けるデッドウッドをつくります。

この過酷な環境こそがブリスルコーン・パインを長く生き続けられる木に育てています。

夜は昼の気温からは想像できないほど冷える

生長速度が遅いと木はじっくりと緻密に育ちます。年輪が密なのは屋久杉と同様で、たっぷりと樹脂を含んでいます。それは腐敗や病気に強く、水分の消失を防ぐことにつながります。

それは粗食な人ほど長命なのに似ていると思いませんか?  実際、インヨー国有林の中でも過酷な条件下で育っている木のほうが長寿のようです。

過酷な環境、それこそが長寿の秘訣というわけですが、それはブリスルコーン・パインの年輪を見るとわかります。多くの年輪から算出された平均生長率は100年で周囲1インチ(2.54センチ)以下です。

ブリスルコーン・パインの年輪は複雑な形

さらに、一般に年輪は輪になるものですが、その一部しか生長できないために輪にさえもなりません。リビングツリーであっても葉が少ないのはそのためです。

幹が捻れたり、丸太のようでなくアメーバのようなだったりするのは厳しい環境に順応しながらサバイバルするブリスルコーン・パインの生き様のようにも見えました。

シュルマン博士の幸運と不運

インヨー国有林が長寿の木の生息域として国の保護区に指定されたのはメスーゼラが発見されたためでした。それは1957年のことで、発見者はエドモンド・シュルマン Dr.Edmund Schulmanというアリゾナ大学の年輪年代学者で、メスーゼラという名前は彼が命名しました。

ホワイト山で調査中のシュルマン博士

ブリスルコーン・パインの年輪を使って講義

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年輪年代学とは樹木の年輪から過去の気候や環境などを探る学問。同じエリアの同種の樹木の年輪パターンをつなぎ合わせていくことで年代を遡っていきます。つまり古い年輪であればあるほどよく、それが現在から過去の時点までつながっていく必要があります。

倒木から生きている木まで年輪をつなぎながら過去に遡っていく

シュルマン博士は20年間の年輪調査のあと、ホワイトマウンテンにやって来ました。この山にとても古いマツがあるという噂を聞いたからでした。

平坦地で育っているため最大となったブリスルコーンパイン 「ペイトリアーク」

噂のマツは「ペイトリアーク Partriarch(長老)」と呼ばれていて、後にメスーゼラを発見する森より奥にありました。平坦な場所に育っていたため唯一巨大に育っていたブリスルコーン・パインの幹周りは10.9メートル。けれども年輪は1,500年に過ぎませんでした。

すでに1,650年の年輪を採取していたシュルマン博士は少し落胆したことでしょう。それでももっとすごい樹齢の木があるはずだとそれ以来、博士は山をくまなく歩き始めます。

この景色はシュルマン博士が歩いたころとほとんど変わらないのだろう

こんな樹皮を見て博士も驚いたに違いない

そして、シュルマン博士はついに樹齢4,000年を超える最初の木を発見します。それがパイン・アルファです。私も初めて「パイン・アルファ、樹齢4,300年」という名札を見つけたときは感動しましたが、その何倍もの喜びだったでしょう。

その後、シュルマン博士は1954、55、56年と次々に4,000歳以上の木を見つけます。翌年にはついにメスーゼラと遭遇したのです。

彼の発見は生物学上でも驚くべきものでした。そのため、1958年のナショナル・ジオグラフィック誌に掲載されました。博士の記事の文面からはその喜びが伝わってきます。幸運にも世界最長寿の木を発見できたのですから……。

ナショナルジオグラフィック誌に掲載された写真。これがメスーゼラ。 博士の表情からその喜びが伝わってくる

 

けれども、幸運のあとには不運が待っていました。

シュルマン博士はこの記事のための原稿を執筆してほどなく、雑誌が書店に並ぶ前に心臓発作で亡くなります。49歳という若さでした。

でも、その記事によって合衆国森林局はシュルマン博士の功績を讃えて、この一帯28,000エーカーを保護区としました。

シュルマン博士の長い調査の果ての素晴らしい発見によって、私たちはいま世界最長寿の森を歩くことができます。結局のところ、彼は後世にとって大きな幸運をもたらせてくれたのです。

隠されたメスーゼラに遭遇するまで

写真集や雑誌に掲載するためと巨樹好きな方々をお連れしたりと、インヨー国有林には10回は訪れています。真夜中に星とともに撮影したり、閉鎖された雪道を歩いたりと撮影の旅では厳しいときもありました。

それでも、ここに行き続けている理由は初めてこの木の写真を見たときの感動がそのまま現実化した場所だからです。

それは日本の巨樹について執筆しているときで、まだ世界の巨樹を巡り始める前のこと。ある高名な樹木研究者の本の中にたった1枚だけ、ブリスルコーン・パインの写真が載っていました。

樹木研究者の本に載っていたのはこんな感じの写真

かなりの古木であると記されてはいましたが、樹齢は書かれてはいなかったと記憶しています。とにかくその姿に驚かされました。樹皮が剥がれ、のたうつように捩れた異形の木。どうしてもこの木に会いたい……。魂を射抜かれたという感じでした。

だから、そんな姿のたくさんのブリスルコーン・パインが見られるこの場所へ行くだけで満足。世界最長寿のメスーゼラが所在を明らかにされてないことも、木を保護するためには当然のこと。素晴らしいことだと探す気など毛頭ありませんでした。

ただ、何度もここを訪れ、雑誌などに書くうちに発見者であるシュルマン博士には興味を持つようになっていました。

ビジターセンターにあったシュルマン博士についての小冊子

そんな何度目かの旅でホワイトマウンテンの麓の小さな町ビッグパインのモーテルに宿泊したときのことでした。聞きたいことがあり、マネージャーの控え室に入る機会がありました。そのとき、奥の壁に古ぼけた記事が貼られているのを見つけたのです。

それがシュルマン博士の記事が掲載されたナショナルジオグラフィック1958年3月号でした。

国会図書館でコピーしたナショナルジオグラフィック1958年3月号

 

そのときまで、じつはそんな記事があることはまったく知りませんでした。このとき初めて、私が生まれる前にそんな雑誌があったことを知ったのです。

早速、私は国会図書館にその掲載誌のコピーをもらいに行き、端から端まで読みました。そうしているうちに、私は記事の中にメスーゼラの写真を発見しました。

左ページがメスーゼラ。”the Oldest Known Living Tree”と書かれている

メスーゼラとは書いてありませんが、世界でもっとも古い木とは記述されていました。でも、私には「これがメスーゼラだ」という確信がありました。

その後、2010年に「世界の巨樹を見に行く会」のツアーで15名ほどをお連れして出かけました。ナショジオの記事のコピーも資料としてお渡ししました。すると、メスーゼラをどうしても見たいという方がたくさんいらっしゃいました。

私は見つけないほうがいいと思う気持ちが強かったのですが、一応、レンジャーさんに「見つけられるものか」尋ねてみました。レンジャーさんいわく「それはかなりむずかしい」ということでした。

メスーゼラがあるシュルマン・グローブ

シュルマン博士の名前が冠されたシュルマン・グローブの中のメスーゼラ・ウォークにあることは間違いありません。そのトレイルを歩き始めた途端、男性陣はトレイルから外れて山のきつい傾斜を登ったり降りたり、必死の捜索が始まりました。

レンジャーさんの見つけるのはむずかしいという言葉から、トレイルからかなり離れた場所にあるはずだと誰もが思ったからでした。

皆さんの熱心さに圧倒されつつも、「無理に見つけないほうがいい」と思った私は普通にトレイルを歩いていきました。

すると、トレイルの反対側からこちらに歩いてくる若いカップルがいました。大学生のような彼らと目が合うと、その手には私が見つけたシュルマン博士のナショジオの記事のコピーを持っていました。

そして、カップルと私の視線が交わった位置、そこに、なんと、メスーゼラは立っていました。

私たちは同じ写真のコピーを持って近づきながらお互いに「これだよね、絶対これだね」と目で語り合いました。

メスーゼラが立っていたのはトレイルのすぐ横でした。

これがメスーゼラ。裏には年輪採取した穴もあった

 

彼らと話したところ、ふたりはアリゾナ大学の年輪年代学研究室の学生でした。シュルマン博士の記事のコピーを持っていたのも当然のことで、それを持ちながら探しに来ていたのでした。

そんなふたりに偶然出会ったこと、そして、目が合ったちょうどその場所にメスーゼラがあったこと。もう、それはとても不思議な感覚でした。

そのあと、「世界の巨樹を見に行く会」のツアーの方々とは記念写真を撮りましたが、このとき皆さんがとても感動したことがありました。

世界最長寿のメスーゼラを見つけたことではありません。

トレイルの横にあったが、いまはトレイルが変わっているかもしれない

それはメスーゼラが世界一の木らしく、威厳があるのでも濃厚な気配を漂わす木でもなかったことでした。「私はまったく世界一なんかじゃないよ。ただ長く生きてるだけ」と言っているように見えました。

普通に、ごくごく自然に、森に溶け込んでいる。無理している感じが少しもしない。

だから、この先もずっとずっと生き続けてくれそうに思えたからでした。

★ご興味のある方はYouTubeで動画をください。

写真提供 / 巨樹写真家・吉田繁(世界の巨樹を見に行く会)

コメント

タイトルとURLをコピーしました