木も地面もすべてが苔に覆われた緑一色の世界。巨樹だらけの無人島にはかつて先住民の村がありました。その村跡でスピリットと出会い、ホットスプリング島を満喫。ウニやムール貝の島に驚かされ、美しい夜光虫の海に癒されました。
テレビ放映された「地球上でいちばん美しい巨樹の島」。その無人島へと旅立った
巨樹がたくさんあるレインフォレスト。木々も地面も苔に覆われた無人島があったら行ってみたいと思いませんか?
そんな島の映像を偶然、TVで見ました。
そこがカナダ西岸の太平洋に浮かぶクイーン・シャーロット諸島。大小150の群島のうちの2つの大きな島は有人ですが、残りはすべて無人島です。
その中の許可された島々だけを巡るボートツアーがあり、脚本家の倉本聰さんが気に入って何度も訪れているという番組でした。
私たちは早速、ボートツアーを申し込みました。いまも先住民ハイダ族の人々が自然を大切に守っているためか、上陸を許可された島だけしか回れません。そのうえに季節も6〜9月に限られ、その間に訪れる観光客の人数にも制限がありました。
4泊5日のツアーで巡ったのはクイーン・シャーロット諸島の中でも南に位置するグアイ・ハアナス国立公園と世界遺産のニンスティンツ。あとは天然温泉のあるホットスプリング島などで、その間にあるキャンプが許可された島々で夜を過ごしました。
無人島というだけでもワクワクしますが、島と島の間の浅い海はまるで宝石箱のよう。紫や赤、黄色のヒトデやウニで鮮やかに彩られていました。
そして、感動したことの1つはホットスプリング島に上陸する際のこと。浅瀬なので移動するボートでは近づけず、ゴムボートに乗り換えるのですが、その周りをたくさんの夜光虫が囲みます。まさに夢のような光景でした。
脳の中まで緑に染まってしまいそうな深い巨樹の森は林床もふかふか。そこにいるだけで心まで潤うレインフォレスト。島全体が森だけの島は本当に魅力的です。

外洋に出るとイルカやクジラ、トドのハーレム島が見える
でも、それだけでなく、海も美しく、温泉もあります。ホットスプリング島の近くの浅瀬にはウニもたくさんいましたし、ムール貝が島のように固まっていました。許可をもらって獲り調理しましたが、とても美味しかったです。
島にいるのはクマとシカとリス。そして、ときどき空を舞うハクトウワシとワタリガラス。外洋に出ればトドやクジラ、イルカが近くで見られました。
こんなに自然に恵まれた場所はほかにはないでしょう。「地球でいちばん美しい巨樹の島」といってもいいかもしれません。
クイーンシャーロットの先住民ハイダ族が守った世界遺産「輝く土地」とは
グアイ・ハアナス国立公園の「グアイ・ハアナス」とはハイダ族の言葉で「輝く土地」という意味です。そして、彼らはクイーン・シャーロット諸島とは呼ばず、「ハイダ・グワイ」と呼ぶそうです。
「ハイダ・グワイ」とはハイダの土地という意味です。これらの呼び名には彼らの歴史が詰まっていました。
クイーン・シャーロット諸島の無人島にはレッドシーダー(アメリカネズコ)、イエローシーダー(アラスカヒノキ)、スプルース(シトカトウヒ)の巨樹があふれています。
けれども、国立公園に指定されていない島々ではいまでもクリアカット(全面伐採)されて、運び出されています。それらは日本にも輸出されています。
ボートツアーのキャプテンに聞いたところ1775年、ハイダ・グワイには6,000人のハイダ族が島々の各地に数10戸の村を築いていました。けれども、その人口は1860〜80年までに800人にまで激減したそうです。
イギリスの貿易船クィーン・シャーロット号が天然痘を残していったからでした。村で生活を営むことのできる人数を失った彼らはその結果、大きな島に集まって暮らすことを余儀なくされます。
そんな理由からハイダの人たちはいまもクィーン・シャーロットと呼ぶことを嫌って、ハイダ・グワイと呼ぶそうです。
そして、20世紀になると、無人状態になった南の島々に製材会社が入り込みます。「所有」という概念を持たないハイダ族の考え方を利用して、カナダ政府に伐採権を与えてもらい、皆伐し始めました。
祖先の森を維持していかねばならないと教えられてきたハイダの人々は1974年に立ち上がります。10年以上に及ぶ長い闘争(裁判など)の末、ハイダ・グワイの南側は「グワイ・ハアナス」と名付けられて1988年、国立公園に指定されました。
国立公園の経営と管理もハイダの団体と国が共同で行っています。
「輝く土地」という名前には、祖先の森を守り抜いた彼らの喜びが現れています。
そして、ハイダの人々の祖先と土地への強い思いによって、私たちはいま巨樹の無人島での貴重な時間を味わえるのです。
世界遺産ニンスティンツは無人の静かな入江。そこで私たちはスピリットを見た!
クイーン・シャーロット諸島の南端に近いニンスティンツはアンソニー島の北東部の入り江にあります。そこはかつての村跡であり、トーテムポールがいまも立ち並んでいます。
もちろんここにもたくさんの巨樹がありました。村の人々がトーテムポールや魚を獲るために使った巨大なカヌーをつくれたのもこの島に巨樹がたくさんあったからでした。
トーテムポールには2つの役割があります。
1つは家紋を表すもの。ワタリガラスやクマ、カエルなどの動物が彫られています。
もう1つはいわばお墓。トーテムポールのてっぺんに棺桶を置いた鳥葬が彼らの弔いのスタイルでした。これらは墓棺柱とも呼ばれます。
トーテムポールの背後には当時の村の痕跡が残されています。それも価値あるものとしてここが世界遺産に選ばれた理由の1つです。
ハイダ族の住居「ロングハウス」には30〜40人で暮らしていたといいます。大きな家だったので梁や桁などもとても大きいです。それがこうして残っているのも腐敗に強い良材だったからでしょう。
海に面したいちばん前にはトーテムポール、その奥に住まい。そして、その奥は深い森です。
それは初めてニンスティンツを訪れたときのこと。そのときはカナダ在住の友人ブラッドにコーディネイトしてもらい、日本からの写真家と私の3人連れ。白人女性がキャプテンを務める、小さなボートで元はスクールバスならぬスクールシップの古いボートで行きました。

ニンスティンツの中をそれぞれで歩きながら撮影
3人がバラバラになって撮影していると、ブラッドが奥の森から血相を変えて走り出てきました。「白いオオカミがいた」とハアハアととても息を上げていました。
ここにはクマはいてもオオカミがいるはずもありません。それは目の錯覚だと思いました。
すると、ボートのキャプテンがやって来て「それはスピリットね。奥の森は村の人の埋葬地でもあるから、あなたにご挨拶しに来たのよ」と普通のことのようにいいました。
白いオオカミを見たというのにも驚きましたが、それ以上に「それはスピリットよ」と普通にいうキャプテンの言葉には驚きました。でも、しばらくするとここはスピリットが宿る場所だということ。それが自然に腑に落ちる感じがしてきました。
私は幻聴が聞こえて幻影も見えた。さらにあり得ない現実が訪れた
ブラッドが白いオオカミを見たころ、私は入り江の水際に座っていました。入り江の前には小島があるので波はほとんどなく、本当に静かでした。
天気もよく、私はボーっとただ座って「なんて、ピースフルなところなんだろう」と眺めていました。
すると突然、「お父さん、お帰りー」という子どもたちの声が聞こえた気がしました。一瞬、ほかの観光客のボートが来たのかと思ったのですが、そこには誰もいません。そうしているうちに、小島の陰から近づいていくる大きなカヌーが見えて、それを迎える家族たちの姿も見えました。
帰国してから雑誌に書くために調べていたら、昔のニンスティンツの想像図というのを見つけました。私が見たのはまさにこんな感じの風景で、漁を終えて帰ってきたお父さんたちとそれを喜ぶ家族の姿でした。ただ、このときはまったくどんな場所だったか知りません。
スピリチュアルでない私もなぜかそんな幻影を見てしまいました。
そんな幻聴や幻影のことをまた私たちのキャプテンに話しました。すると、彼女は「それが見えたあなたはここを訪れる資格があるのよ」といいました。この場所を愛するキャプテンにいわれると、本当にそうなのかもしれないと思えてきました。
じつはもう1つ不思議な体験がありました。
それはホットスプリング島の近くの島にキャンブしたときのことでした。撮影に時間がかかり、暗くなってから島に上陸してテントだけ張って寝た翌朝のこと。「おはよう」と日本語が聞こえてきました。また、幻聴かなと思ってテントから這い出ると、そこにはたくさんの日本人がいました。
じつは私たちが上陸する前に倉本聰さんの富良野塾生たちがここに泊まっていたのです。日本語が聞こえたのも当たり前のことでした。倉本さんはクルーザーに泊まっていたようですが、そのクルーザーのキャプテンが私たちのキャプテンの旦那さまでした。
倉本さんの番組を見てクイーン・シャーロットに来たら偶然、会ってしまうなんて、これもここならではの出来事だったかもしれません。
ボートツアーでは食事はスタッフがつくってくれます。とても美味しい食事ですし、ここで食べたフィラデルフィアのサーモンテースト・クリームチーズは病みつきになりました。焚き火もできますし、温泉も入れて、野生動物にも会えます。もちろん、巨樹も素晴らしいです。
都会に疲れたら、こんな旅に出かけることをオススメしたいです。
スピリチュアル好きな方にはとくに向いているかもしれません。
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